―― グループ学習のメリットと質の高い個別指導を融合させて・・・1クラス平均7名  内申と偏差値・小中高一貫教育 ――

塾内発行物わかたけ通信学習は人を成長させる材料になる・・・。
    << 過去51年間のわかたけ通信より、特にお読み頂きたいものをピックアップしました。是非ご一読ください。>>
2021 No.2より New
能力ってどんなもの?!
    大事な時に大切なのは、どれだけマニュアルを持っているかではなく、
                どれくらい考える力を有しているか・・・という事。
 
 人が何かしら壁にぶつかった時、こういう時には、こうすればいい・・・、こんな時には、こんなふうに・・・と、そんなマニュアルをいくらたくさん人に教わってきたとしても、どんなにたくさん与えられてきたとしても、大事な時にはだめかもしれません。それが自らの体験、経験によって、学び考えて身に付けたものでなければ、その時になかなか能力として生きてこないものです。
 
 受験にも当てはまります。この問題集をやって、そしてそれをこうしてこうすれば、合格・・・!よく書店でも “攻略本” なるものが売られています。その本を買ってその通りにした人が皆、願いや望みを叶える訳ではないのは、その本の販売数からしても明らかです。世の中はそんなに型通りにはいきませんし、思い通りになるものでもありません。 “攻略本” を買って一生懸命やった人の中でも少数の成功する人とたくさんの失敗する人がいるわけです。
 
 日々の生活の中でも、一生懸命努力する人が皆、結果を出せて報われる訳ではありません。むしろ頑張った人の方が願いが強いはずですからプレッシャーも大きくなり、緊張し、失敗しやすくもなるというものです。努力とは別な、願いや望みを叶える力・・・、生きる力なるものが必要なようです。
 
 生きる力とは何なのか・・・。   早く答えを見つけて、教えてもらって、マニュアルを得て終わりにしたいと思う人と、たとえ時間がかかっても、苦労しても、自らで考え抜いて正答にたどりつく事に価値と意義を見い出す人との違い――を意識する必要があるのではないでしょうか。
 そして更にその違いは、人生の時々に訪れる試練というもののとらえ方の違い――とも言えると思います。
 
  試練・・・それは、真にその人間の能力が試される場です。目に見えない、ストレスやプレッシャーとの闘いです。ただ一生懸命努力するだけで克服できるものでもありません。人が見ていてくれる訳でも、手を差し延べてくれる訳でもありません。そしてそれは、その人間にとって初めて遭遇する刻々と状況の変化するものでもあります。そんな時にこそ必要なのは、 “よく見て、よく聞いて、よく考えて、その都度適切に、冷静に状況判断し、想像力を持って挑んでいく強さ” なのではないでしょうか。そしてそれが生きる力となって、その人の願いや望みを叶えていける可能性を高めてくれるのではないでしょうか・・・。
 
 正に我々の目指す能力です―――――――――。
わかたけでの日々の学習がそんな能力を磨くプロセスとなるよう、尽力していきたい我々です。
     
2021 No.1より
『やればできる!』のまちがい・・・
 日頃本当によく耳にする、この “やればできる!” の言葉です。ですが、いやみな、ひねくれた言い回しをすれば、 “そりゃ、誰だってやりゃできるよ!” と言いたくなるものでもあります。ですがこれ、案外、的を射ているようにも思えます。
 -やる事が、やり抜く事がどれくらい難しいかに考えを及ぼす必要がありますが-
 
 願いや望みを叶えていくのに何をやるべきなのかは、真剣に未来を考える人なら自然と見えてくるものです。そうした上で “よしやるぞ!” と思うのは、決意するのは、当然の流れと言えるものでしょう。ですが問題なのは、その目標に近づくため、日々の一つ一つの事にしっかりと取り組めているかどうかです。人に押し付けられたものでもない、強制されたものでもない、その自らで決めたやるべき事がきちんとやれているかどうかです。
 例えば、前日決めた事が翌日守れないようでは、いいかげん、てきとう、そして、決心する事で気持ちが良くなっているだけ・・・、と言われても仕方ない訳です。
 
 人間には意外にも、なんだかんだと自分を正当化して楽な方に流されやすいという弱点があるものです。ましてや目の前に、面白い事や楽しい事があり過ぎる現代の子供達にとっては、なおさらやり抜くのは大変な事です。やり抜く “強さ” と、自らに卑怯な言い訳や正当化をさせない “誠実さ” が大いに問われる事となります。
 結局のところ、人間の行く道を決めていくのもそこなのでしょう。何としても、流されず自分の弱さに克っていける人間へと進歩・成長させていかなくてはなりません。
 
 周りの見守る大人にとって大切なのは、想像力をたくましくして、やる事が、やり抜く事が、どのぐらい大変で難しいものなのかを考えてやる事なのかもしれません、温かい心で・・・。
 日々学習を通じて本人達に接し、結果を共に求めていくべき我々にとっては、日々の小さな様々な事でも “一事(時)が万事(時)” の考えで、一つ一つ、自分を客観視する材料として提示し、自分を見つめる目を育んでもらう事に尽力していかねばなりません。 “これくらいでいいや” と流されないために・・・。
 
 結局のところ『やればできる!』は、本当は『やれなければ、できない!』と、自分がやれるかどうかが問われているのだと解釈すべきなのでしょう。
  “自分がやれているかどうかが問われている・・・”、そういう言葉と思っていけるなら何とも素晴らしいことです。    
2020 No.2より
大事な時に問われるのは?・・・世の中においても達成率!
 過去も何度か達成率というものに触れてきましたが、今改めて、現実に願いや望みを叶える際に大切な事に話を拡げてみたいと思います。達成率のポイントは、なにもテストで100点を取る必要はない・・・:できない、知らないものは仕方ない、でも、できる、わかる、知っているもので点を取れていないなら、それは大問題・・・というものです。
 わからない、知らないところ以外の、取るべきところで何%取れているか・・・が達成率でした。

 ここからはあくまでも勤勉性を発揮し、努力してきた人に対しての話です。
 人間、真に努力した人なら、頑張った人なら、ぜひとも報われてほしいものです。ですが、現実は必ずしもそうはなっていないと思えます。人が願いや望みを考える際、その試される場面で明暗を分けたり、そして過去に報いる結果をもたらすか否かの大切な要因が、他にあると思えます。失敗したとしても、それはもしかしたら実は、努力が足りていなかったのでも、そして、分不相応でもなかったのかもしれません。
 具体的な一つの例として受験にあてはめて考えてみます。受験校が決まるまでには、それまでのプロセスで努力して身に付けてきた学力が問われます。受験校が定まったなら、そこを受ける人達は、ほぼ似かよった学力の集まりのはずです。その中で、合格する人と落ちる人に分かれます。努力を重ねてきた人が落ち、まるで直前まで遊びまくっていたような人が合格するケースも多々あります。もしかしたら、勤勉性を発揮して努力を重ねてきた人の方が、その分結果を得たい気持ちが強いはずですから、プレッシャーが大きくなり、緊張し、不利な状況に置かれてしまうのかもしれません。
 
 合否を分けるものとは何なのか・・・?正に達成率に通じる “取るべきところで確実に取りきれているか?” です。実は、そこには、過去のプロセスを帳消しにしてしまうような結果を大きく左右する要因があります。それはきっと、有しているものをきちんと全て出しきれる、確実さ、正確さ、着実さです。そして、プレッシャーに強い、タフな心のありようです。これを日々しっかり学習プロセスを歩みながらも養い、身に付けていかねばいけません。
 
 そのための特効薬などあろうはずもありません。ですが、我々は手を尽くさねばなりません。日々どんなに慌てても、急いでも、揺るぎなく質の高い解答をとことん求めていかねばなりません。
 必要なのは、結果にとことんこだわって、本人達の書く解答に注目して、もし、とんちんかんで雑で適当な、そんないいかげんな解答があったなら、厳しく指摘して、自分を見させていくプロセスです。そして、常日頃からどんな状況でも解答の質を下げない訓練を積み重ねていく歩みです。
 それは、いざという時、プレッシャーにさらされても動じない “願いや望みを叶える能力” を育む道となるはずですから・・・。
 こうしたうえでなら “真にベストを尽くす人に人生はほほえむ” が現実となっていくはずです。    
2018 No.1より
自ら能動的にやる勉強か・・・?  それとも、やらされる勉強か・・・? (改訂版)
 皆だれもが、勉強はやらなければいけないもの・・・、と考えて取り組んでいるはずです。ですが、たとえ学習に取り組んでいても、やりがいを感じ更に向上心が高まる勉強と、ストレスをため、うさをため、それらを発散せずにはいられない勉強との2種類があります。
 そのいずれであるかを見極めるための視点・ポイントがあります。それは勉強する姿がたとえ表面上同じに見えても、中身・質の違いを示し、ひいては結果に繋がるかどうかをも占うものです。更にそれが先々の長い人生の時々に、願いや望みを叶える能力を育むプロセスとなっているかどうかをも見極めるものとも言えます。       それは学習に取り組む前と後の姿です。

 人間、強く、前向きにやれるのなら、すぐ取り組めます。  弱く、仕方なくやらされるのなら、なかなか取り組めずダラダラするものです。
――すぐさま、パッと取り組めるか・・・、サッサと行動できるか・・・?   それとも、逃げてグータラしてしまうか・・・?です。――     
 やり終えた後の姿もかなり違ったものになります。
 
 やりがいを感じ充実感を感じ、更に覇気を高めていけるか、それともやらされる勉強に、ストレス・うさをためてしまうかは、大変な違いです。
――すぐさま、サッと寝られるか・・・?   それとも、ストレス発散、そしてうさ晴らしせずにはいられず、その学習の定着のための “早い就寝”、を無視して夜更かしし、学習の成果・効果を帳消しにしてしまうか・・・?です。―― 
 学習の中身が大変なものなら、これらの違いはより顕著に現れる事でしょう。
 
 これらにおいては自発的な “心の強さ” が問われます。鍛えるのは正にそこです。
 それは結果に繋がるか否かをも左右するばかりか、正に、長い人生で報われていくための “生きる力” を磨いていけるかどうかの “心のありよう” を示すものです。生まれつき強い人間はいません。たくましく成長していけるプロセスを歩めるかどうかが大切です。そのための材料として、ぜひ日々の学習を利用していってほしいものです。
 
  “楽に逃げない、卑怯を嫌う心” があれば、一人では無理であった事でも、強くたくましくやれるようになります。そしてそんな尊い仲間の集まる “環境の力” を借りて、日々前を見て歩めていけるようになるはずです。
       変化のために・・・、進歩・成長のために・・・。    
2020 No.1より
結果を求めていく学習がもちろん大切ですが、
 塾で “勉強は成長のための材料” と言われるゆえんは・・・
 人は普通、好きな事、面白い事のみをやっていて、願いや望みを叶える歩みを進めている事にはならないでしょう。社会で希望を実現していくためには、やはり、目の前のやるべき事をやりぬいていく強い実行力が必要なはずです。ですが、人は生まれながらにそんな能力を備えていないでしょうから、年月をかけてしっかりと、やるべき事をきちんとやりぬく能力を身に付けていかねばなりません。
 面倒臭い事、嫌な事、苦手な事でもやりぬいていける人であれば、好きな事、面白い事しかできない人と比べ、その実行力たるたくましさは、正に “生きる力” となってその人が人生を切り拓いていくのに大いに効いていくはずです。
 たとえ大変であったとしても、乗り越えた先にある喜びや、やりがい、そして自信さえも味わう事ができるでしょう。そして更に、新たなる事に挑む意欲や勇気も湧いてくる事でしょう。より強く、たくましく成長していけるプロセスであると思えます。
 ところが、今の世の中、あまりに刺激のある、のめり込み過ぎてしまう面白い事、楽しい事が氾濫しています。我を忘れてそれらにのめり込んでいて、やるべき事から逃げていたら、身についてしまうのは、挑めない心、弱い心のように思えてしまいます。
 
 ここで考えてみると学習の一つの効用がある事に気が付きます。勉強で示す結果はもちろん大切です。それを求めていく事が一つの重要な目的でなくてはなりません。ですが、それが未来を切り拓くというより、むしろ日々の学習で身に付けた、やるべき事はやるというタフな実行力が、その人の先々の人生に大いに生きていくのではないでしょうか。
 
 人は、人生の試される大事な場面では、必ずやストレス・プレッシャーにさらされます。重要であればあるほど大きく・・・。そんな時、塾生達には、その日々の学習で育まれた、試練に強い精神力で、ぜひとも実力を出しきって願いや望みを叶えていってほしいものです。
 これこそ、塾で “勉強は成長のための材料”と言われるゆえんです。
     
2019 No.2より
結果を出すからこそ、ぜひおさえなくてはならない
   願いや望みを叶えるのに必要なものとは・・・。
 塾生は皆、日頃言われます。日々の学習で、 “いやだな、面倒臭い” という思いや、 “適当さ、雑さ、いいかげんさ” を見つめていくように・・・、と。そんな自分の弱点、欠点を直して克服していくべく、常に勉強を材料にしていかなくてはなりません。
 その意味で結果を向上させるプロセスを歩んでいかなければなりませんが、結果が目的なのではありません。そこで育まれる内なる心の強さ、たくましさ、そして実行力、正確さ、持続力、ねばり強さ・・・の方がずっと大切で価値あるもののはずです。
 先々の人生で生きるのはそちらの方なのですから・・・。
 
 さて、結果を出していく際に、気を付けなければならない重要な観点がある事に注目しなくてはいけません。
結果を出すとやはり、人に羨ましがられるものです。ぜひ、そんな結果を得ていきたいものです。ですが、その先に怖い面があるのです。   それは・・・。
その羨ましい気持ちが、妬み、嫉妬につながって、 “なんだあんな奴” そして “あんなふうになりたくないな・・・” と余計に人の心を離してしまう人と、 “あの人すごいな・・・” “あんなふうになりたいな・・・” と人が寄ってきて、真に手本、見本となれる人とに分かれていくという事です。
 何がその分かれ目を決めているのでしょうか?
それは、人としてのありようなのではないでしょうか。―――温かくて、優しい、そして頼りになる、もちろん人気も・・・、そんな、人に好かれる人か、そうでない人か―――それがその人を幸せにしていくのかどうかにも大きく影響していくように思えます。
 
 我々は時折、塾の卒業生の様子を耳に、目にしてきています。望んだように結果を出せなかったとしても、有名大学に入れなかったとしても、その心、そしてその人望で人に慕われ、好かれ、生きがいを持って日々幸せに生きていける様子を・・・。
 大切なのは頭の小手先の方ではなく、やはり、心、その人間性の方だと思います。
 
 もちろん逃げる事なく自らを見つめ、結果にこだわって、日々ベストを尽くす事で自らを鍛えていくプロセスを歩めた先輩達です・・・。
     
2018 No.2より
たかが点数、されど点数・・・ すべては “一事(時)が万事(時)” (改訂版)
 苦労せずそこそこ点を取れる人がいます。たかが点数で『頭いいね-』と言われるでしょう。また、必死になって、ただその時だけ、それだけに集中して点数を取る人もいます。そして人前で必死になっているのを隠して、ただ点が取れているだけなのに『頭いいね-』と言われて喜ぶ人もいます。必死になっているのを知られてしまうなら、ただの『点取り虫!』と言われてしまうでしょうし・・・。 ですが、これらの人達が羨ましがられる結果を出しても、どうも腑に落ちないのは私だけでしょうか?点数だけしか取れない・・・、点数だけにしか重きを置けない・・・、成績の向上を材料に自分を磨けていない・・・と、少々残念、いや甚だもったいない気がします。
 
 別な考え方をしてみます。
 
 点数は上げなくてはいけません。高みを求めて上を目指していかねばなりません。ですがなかなか点数が上がらない人が多くいます。でもそれは見方を変えれば、小手先で点数だけ取れてしまって歪んだ自惚れを抱えるよりずっと、勉強を材料に内なる心のありようを磨ける価値あるチャンスを手にしているとも言えます。結果が思うようについてこない時、以下のように視点を広げてみてはいかがでしょう。
 
 部屋が汚い・・・、机の上が散らかっている・・・、引き出しの中がぐちゃぐちゃ・・・。これで平気な人はそれらが気にならない神経で物事を処理しているのですから、雑で、いいかげんで、適当で、いくらやってもなかなか “結果” に結び付かないことでしょう。根っこは同じなのですから・・・。
 
 字が雑でいいかげん・・・、人に見せるためという事に意識が向いていないのなら、他もいろいろが独りよがりのはず・・・。人の印象も良くない事でしょう。それでは “内申” を上げようもありません。ただ内申が良ければ人望が得られているという訳では決してないのは当然ですが・・・。
 
 名前を呼ばれているのに反応しない・・・、目の前で言われているのに聞き取れない・・・。人と話すのに語尾がモゴモゴ、何を言っているのか解らない・・・。それでは社会で大切な “コミュニケーション能力” の育成に繋がりません。
 
 成果をあげていくのには、いろいろな多くの事を、優先順位をつけながら同時にきちんとやっていかなくてはならないのに、自分の好きな事、やりたい事のみを優先して、他は『まあ、いいや・・・』と無視したり、後回しにしたりする人、そんな人に早め、早めに “提出物” を出すのは難しい事でしょう。結果を出すのも厳しいはず・・・。そこで自分の甘い考え、怠惰な気持ちや衝動を抑えて、物事に対して粘り強く、辛抱強く、根気強く、前もって準備する心は “成果” を出す際の試金石ともなるものですから・・・。
 
 これらのように楽して点数を取る方が得・・・と考えるより “一事(時)が万事(時)” :一つ一つの細かな事、そして更に、そのいっとき、ほんの一時が大切という考えに立って、常日頃のあらゆるものの質を高めていくプロセスの一部として、点数が、内申が、順位が、そして結果が手に入るのだと考えられないでしょうか? そう考えれば、日々の学習の歩みは、その時のただの結果のみならず、社会に出て役に立つ、願いや望みを叶える能力の育成に直結していくと思います。      それが我々の考える “人間力” です。
 
 細かな事を疎かにせず、一時、一時を軽んじず、真に中身が充実していれば自然と結果が付いてくるのが勉強です。そういう質の高い歩みとしていきたいものです。もしなかなか結果がついてこないのなら、よりきちんと自分と向き合って弱点、欠点と闘っていくべきです。そこには先々の人生の似たような場面で大いに生かせる、強さ・逞しさ・タフネスが育まれていくはずです。
      これがまさに、わかたけの考える “生きる力” です。
 
 今後とも日々心して、勉強を進歩、成長の材料にして尽力に努めて参ります。
     
2019 No.1より
子供達の真の能力の形成のために・・・、
     今こそ大人に求められる大切なその能力を育む心構え
 テストで何点取れたら・・・、お手伝いしたら・・・、とその行動に対し、ご褒美を与え続けているとどんな事が起きるでしょう?
当然のごとく、当たり前のように、報酬がなくてはやらなくなります。できなくなります。
 
 テストにおいてなら、本来は大変でもきつくても、心して準備し、自分と闘って立ち向かう “実行力” を養うための鍛錬に意味があるはず。
 お手伝いにおいてなら、本当は、人に喜ばれる事に嬉しさを感じる “共感の心” を育てる大切な場面のはず。  なのにー。
報酬ほしさのためなのですから、それらの尊い意味が全くなくなってしまいます。逆効果でさえあります。その目先の報酬を得たいがための表面的な行動ばかりで周りの大人が満足していると、すべては報酬のための、それなくしてはできない子としてしまうような、随分とまずい事となってしまいます。それでは目の前に報酬などない外の世界で、社会で、評価されようはずもありません。    何とも恐ろしい、怖い話です。
 
 テストなら、結果はもちろん大事ですが、評価すべきはストレス・プレッシャーに負けず、逃げずに挑んで、やるべき事をやりぬく逞しさの方です。それを評価し、認めてやる事こそ、大事な時に生きる実行力を育むものとなるはずです。そんなふうにしっかり歩めているのなら、自然と成果がついてくるはずですし、もし、たとえ結果がついてこずとも、逞しく歩める事の方がきっと先々に生きる大切な糧となるはずです。先々の人生で点数が人を支えていく訳ではない事を考えれば、この時間がかかっても報酬におどらされるのでなく、真に逞しく自らの足で歩める事への評価は、何とも大切なものです。真に価値ある、願いや望みを叶える道を歩むために・・・。
 人に願いや望みを叶えさせてくれるのは実行力です。先がわからない不安の中でも、希望を持ち、価値を見い出し、そして報いがあるかどうかさえわからずとも、ストレス・プレッシャーに負けずベストを尽くしていける。        それこそ正に “生きる力” と言えるものではないでしょうか。
 
 お手伝いなら、ありがとう!と自然に気持ちを表し、誉めてやる事ができます。人に喜ばれ、誉められる事の嬉しさを子供は目一杯感じてくれる事でしょう。お金などで置き換えられようはずもない素晴らしいものです。人の喜びが自分の喜びとなる共感の心を育む時です。
                       そんな心のありようこそが、大事な時に人を支え、そして頼られもする “人間力” なのではないでしょうか。
 
 これらの素晴らしい “生きる力” や “人間力” を育むプロセスを周りの大人が報酬で奪ってしまうなら、何と罪深いことでしょう。
                       大人さえも試される子供の進歩・成長です。
     
2011 No.2より
子供の内なる成長を促す様々な経験を・・・
そんな刺激あふれる塾でありたい。
 昔から “可愛い子には旅をさせよ。” ということわざがあります。ここで言う “旅” とは何を指すのでしょうか。昔ならいざ知らず、現代においてこれを解釈する時、それが実際の旅を指しているのではない事は明らかでしょう。では・・・、これを “経験” と置き換えてみてはいかがでしょうか。子供達の成長のため、様々な経験をさせなさい・・・、そんなふうに語られている気がします。
 温室でぬくぬくと育った草花なら、外界に放たれた時、それこそすぐさま、しおれてしまうことでしょう。時には大雨に打たれ、時には激しく日光を浴び、そしてある時は強風に吹かれ・・・、更に、もしかしたら、人に踏まれる事もあるかもしれません。そんな逆境をはねのけていけないなら、実際の世の中で願いや望みを叶えられるはずもありません。きちんと鍛錬を積んで経験を重ねてこそ、社会に出て、立派に花を咲かせられるはずです。
 
 表面だけではない、内なる成長ゆえの、真の美しさ、たくましさがそこには秘められていることでしょう。
 
 勉強を、成績のため、受験のためのものと考えるのではなく、様々な経験を通じて子供達を内面から成長させていくための材料とできるなら、そんな素晴らしい事はありません。
 
 それこそが我々が目指す学習の姿です。
 
 若竹の塾生諸君が、結果として大いに学習面で伸長、成功したとしても、それが我々の目的ではありません。目に見えない “心と頭” の中にこそ、その成長の軌跡があります。それに目をやって、子供たちの成長を、暖かく深く見つめて頂けるのなら、こんな嬉しい事はありません。
 
 若竹塾での経験が大人になっても様々生きる・・・、そんな塾でありたいと願いつつ、講師一同日々尽力して参ります。
     
1995 No.1より
真の勉強とは・・・考える力!・・・これが自らの未来を自ら切り拓く強さを生みます。
 新しく入塾される方との面談で、塾での学習の悪い例としてよくこういうお話しをします。授業中、先生からの一方的な説明を聞き、フムフム、フムフムと分かった気になって、そして勉強したような気になって・・・、ではさようなら・・・。ここには2つの大きな問題が隠されています。

 まず、自らやってみることの大切さです。大人でさえ、頭で分かった気になって理解したつもりでも、それを自らで実際に手を動かし、ああだろうかこうだろうかと試行錯誤し、やってみることで、初めの理解の浅さに気が付くことがあります。ましてやその瞬間に生きる子供達、そして、できれば目の前の事に、何とか楽をしてその場を過ごしたい・・・、と考えている子であれば、この、分かったふり (人に対してでなく、自分自身が分かったんだとだまされてしまう事が問題なのです)が、知らず知らずのうちに正当化されてしまっているのです。話を聞く、説明を受ける・・・、という作業のなかには本質的に、分かった気にさせる、理解したつもりにさせる、そういう落とし穴が隠されているのです。自らの能力をフルに発奮させて、集中してやり抜く時間を持つ事で、その落とし穴を回避し、真に理解し、できるようになるための、質の高い学習を経験させていかなくてはなりません。

 次には、やってもできない、と自己過少評価につながる危険性です。多くの子供達がただ一方的な説明や解説で、学習の時、勉強の時をごまかしがちです。つまり、自分の能力をフルに磨くこと無しに、勉強した気になって、そして、勉強したと思い込んでしまいがちです。が、それではおのずと成果は出てきません。ところが子供達は、勉強している、勉強したと思っているのですから、当然、やってもできないんだ!と思い込みます。それは、これから伸びたであろうその子の能力の素晴らしさを考える時、多大な損失と言わなくてはなりません。決してそのような事があってはいけないのです。

 さて、我々大人そして講師にとって、その子それぞれの能力に自ら気付かせる事が重要な責務です。これを心に命じなくてはなりません。そのために大切なのは、何と言っても日々の、自らの能力を使い切り、真に、わかった!できた!やった!と思える経験です。自らの思考力を精一杯働かせて考える、または、自分の甘さから生じる試練に正面から立ち向かうという、日々の訓練の積み重ねが、依頼心を取り去り、物事に能動的に取り組む強さを生み出します。それが子供にとって、これから様々経験するであろう困難をも克服する貴重な糧となるはずです。

 自分の未来を自らの力で切り拓く、そういう強さをぜひ子供達に身に付けてもらいたく、日々、ひとりひとりを大切にやって参ります。そして、“暖かい目” と “厳しい心” で、ひとりを大勢の中に埋もれさせる事なく、また、大勢の中の何人かのみを見てしまう事なく、心を研ぎ澄ませて、講師一同尽力して参ります。
2016 No.1より
結果にのみ一喜一憂するか・・・、それともそれを材料に更に高みを求めていくのか・・・。
 初めてお会いする面談の際、保護者の方々に以下のような例を挙げて話をさせてもらっています。わからない字があった時、調べるのが面倒臭くて仕方なくて『先生!これ何て読むの?教えて・・・!』と言う子に、意地悪のように『知らないよ・・・!』と言わせて頂いています・・・と。

 初めは、“ああ面倒臭いな・・・” と思っていた事が、その都度、その都度、その気持ちと闘って、克って、経験を重ね訓練していく事で、やがて自然と当たり前のようにできるようになる・・・。社会ではきっとそういう人が評価をもらえるはずです。自然とできるのですから、ストレスが少ない分、余裕も生まれ、中身の充実に神経を向けられます。更にそこに価値を見出し、意義を認め、やがて喜びさえ感じられるようになる・・・。 何と素晴らしい事でしょう。 楽な方に逃げてしまう人と、いとわず、当たり前のようにできるようになっていく人との違いは、もしかしたらずっと先々続くのかも知れません。     長い人生においては、とてつもなく大変な違いです。

 “生まれながらに実行力(意志力)を身に付けている人はいない・・・” のではないでしょうか?・・・ 人は元々のん気に気持ち良く、楽をしていたいものなのかも知れませんが、それに克つ強さが必要です。“実行力とは自然に身に付くものではなく、日々訓練と経験を重ねる事で、ようやく身に付いていくはずのもの・・・” ではないでしょうか・・・?
 自分の実行力を磨き高めるためには、不都合な事、きつい事、嫌な事を前にして、逃げず、言い訳せず、責任転嫁せず、 自己正当化せず、真正面からそれを受け止め立ち向かっていく勇気が必要です。それさえも日々の経験で育んでいかなくてはなりません。

 そんな歩みを可能にする貴重な材料となる、という面が勉強にはあります。ただの点数を求めていく勉強を乗り越え、中身、プロセスにこだわって自分を見つめる材料にしていくからこそ、勉強を通してスポーツにも通じる・・・、いや、もしかしたらそれ以上に価値がある、一生ものの “人間の器 ” が育っていくのではないでしょうか!

 いい点欲しさにその時のみ必死になってガリ勉して、終わった~!か・・・、それともずっと先々に生きる能力を育むべく、結果さえも、実行力を客観的に厳しく見る材料とするか・・・。

 ストレス・プレッシャーに負け、弱く盲目的な受け身の勉強とするか・・・、それともストレス・プレッシャーに克って堂々と受け止め、きつくても大変でも、 自らで意義を見い出し、判断し、能動的に意志の力で為すべきを為していく勉強とするか・・・。

 弱い臆病な心で、やらなきゃ怖い、やらされる勉強となるか・・・、それともタフで強い勇気を持った、自らの向上心による自発的な勉強となるか・・・。

 褒められたくて、もしくは怒られたくなくてやるか・・・、それとももちろん不安だけれども、自分を奮い立たせ、目の前の事一つ一つに最善を尽くして対処しようとするか・・・。

 点数のみを求めて、“何とか楽をして点を取る方がトク、そして勝ち” と思うか・・・、それとも点数にこだわって、自分の実行力を更に高める材料にして、プロセスを充実させ、“大変でも将来に生きる能力を育んでいく方に価値がある” と思うか・・・。

 今後ともきれいごとに終わらせる事なく、“結果を出してこそプロセスにこだわれるはず・・・” と心に刻み、日々御助力を頂きながら、全力を尽くしその期待に応えて参る所存です。
2015 No.2より
わかたけ塾生にとって大切なものとは・・・?
 塾内で昔からずっと言われ続けてきている大切な事を、今、もう一度確認したいと思います。

 学習塾ですから勉強が大切と考えている・・・と思われる方もいらっしゃるかも知れません。ですが、何より大切なのは体調です。決して、体調を崩してまでやっていい事は何ひとつありません。部活もしかり、勉強もしかり・・・です。そして睡眠はとても大切です。以前からずっと、日ごろわかたけで、一番大切だよ!と子供達に伝えているのは、“健全な肉体 ” です。何をやるにも、体調が万全であってこそ心も体も活性化し、ベストを尽くす条件が整うのですから・・・。
――――7時間~8時間睡眠が基本です   夜中の携帯がどれぐらい害毒である事か・・・―――――――― 

 次に優先するものは何か?それは、“家族の一員としての務め・・・” です。家族に信頼され、家族の助けになり、やがて家族をも支えうる人間へと成長する事よりも大切な、点数も、成績も、受験も、学歴もありません。そういうものは、やがて家族の一員として立派に成長するための、材料でしかない・・・と教えてきている我々です。塾で時々、皆言われます。『勉強より家の手伝いが大事・・・!』『授業より、おじいちゃん、おばあちゃんに喜んでもらう事の方を優先!』と。“塾の勉強が・・・、宿題があるから・・・” などと言って、家族の一員としての務めから逃げるなど言語道断、あってはならない事なのです。
――――日頃グータラして言い訳で逃げている人ほど、いざと言う時勇気が持てず判断を誤ります――――

 もし、次にくるものは?と聞かれたら、“学校の事・・・” と答える我々です。学校での様々な活動すべて、とても大切なものばかりです。それに全力投球できなくてはいけません。行事、生徒会活動、クラスや班の仕事・・・、そして部活動もしかり・・・です。それらにベストを尽くしていける人に、やるべきものをやりぬく行動力、大変でもやりぬく実行力が養われ、願いや望みを叶える能力を身につけていけるはずなのですから・・・。

 他にもいろいろあって・・・、さて、勉強の事が来るのなら、その勉強においても当然優先順位があります。これまた塾で常に言われるのは、『学校優先!そして部活優先!!』 です。塾生は皆、学校で評価されなくてはなりません。学校の勉強をないがしろにして、その大切な学校での評価は高まりません。どんな時も塾の事より学校の事の方を大事にしていかなくてはいけません。
――――好きにしてたくて、やらされている度合いの高い人ほど “これ言ったらきっと・・・” とグチッぽくなります―――――

 日ごろ、塾生皆、『部活で活躍しろよ!』と言われて日々取り組んでいます。どんな時もそれでいいのです。我々は協力者、助力者。縁の下の力持ちになって塾生諸君を後ろから、時には側面から支えて参ります。大丈夫・・・、安心して取り組んでいっていいのです。“部活やらずにせっせと帰ってグータラ・・・、もしくは、いい点とるため必死で勉強・・・” 頼りない、何とも格好悪い話です。それでは、人はついてきません。逆に “勉強で結果出せずストレスためて、部活で必死にうさ晴らし・・・” これもまた、何ともダサイ話です。それでは人に信頼されません。その都度優先順位を判断し、タフにやり抜く精神力が必要です。

 点数など一時の事、それが人を幸せにするのではありません。大切な時に、楽な方に流されず、大変でもきつくてもやるべき事をやりぬく実行力の方がはるかに大切です。その重要な実行力を日々勉強を材料に鍛えているのです。そのプロセスをきちんと歩めているのなら、結果は自然と後からついてくるものなのです。     不遜の願望でない限り・・・    
2015 No.1より
勉強は家で1人でやるもの・・・いやいやもっと上がある・・・。
なぜ、たくましい人ほど塾に来てやるようになるの・・・?
 ずっと以前の話ですが、安心なある子に向かって『君なら、テスト前、1人で十分できるから、授業以外わざわざ塾に来なくても1人でやっていいよ・・・。』と言います。そんな子に限って『先生、塾の自習室使わせて・・・!』と訴えたものでした。

 別の心配な子に対して『君は、とてもとても1人で家でやれるわけないから、きちんと塾に来て準備するように・・・。』と指示します。するとそんな子に限って『家がいい・・・、1人でやれる・・・。行き帰りの時間がもったいない・・・。 』とまでよく言い張ったものでした。

 ここに、やるべき事を前にして、皆、同じようにストレス・プレッシャーを感じながらも、人間の心の異なる姿が現れています。自分の弱さを克服して、より、量と質を高めていく方を選ぶか、それとも、気ままに好きなようにやる方を選ぶか・・・。

 前者の人間は、1人でいたら、やるべき事を前にしても、様々な誘惑に負け、弱くなってしまう自分・・・、集中できない自分・・・、ダラダラと時間を無駄にしてしまう自分・・・、効率の上がらない自分・・・を十分わかるのでしょう。 現実を、自分の弱さを、きちんと知っている訳です。だからこそ、どうせやるなら成果を上げよう・・・、結果を出そう・・・、となります。だったら迷わず、すぐに、中身、質の向上を、効率アップをはかろう!とするはずです。世の中で、社会で、闘えるよう、自分の部屋を出てより自分を強くする訓練をしようと、きっとなるはずです。

 後者の人間は、迫ってくるもの、やるべき事を前にして、そのストレス・プレッシャーに負け、耐え切れず、どうにかそれを発散させなくては、とてももたないのでしょう。知らず知らずのうちに、現実から逃れるための材料を求めてしまいます。そして、そんな自分が見えず、わからず、負け、そのストレス・プレッシャーの源が過ぎ去るのをただ待つかのごとくの時間の使い方をしています。テレビを見ながらだったり、ゲームがやりたくなったり、携帯をいじりながらだったり、そしてボーッとしたりグータラしたり・・・。いくら勉強道具を前にしていても、やっているのはストレス発散・・・。やったつもりの形だけの勉強・・・。     弱くなってしまった人の姿です。
 面白いのは、案外、こういう状態の人間ほど、“自分は頑張った” と思いたがるという事です。夜遅くまでやった自分・・・、真夜中までやった自分・・・、頑張った・・・と。現実を見つめられず、ストレス発散せざるを得ない弱い自分なのですから、現実逃避して都合のいいように物事を解釈してしまうのも仕方ないのでしょう。昼間グースカ寝ていたのに・・・。夕方、こっそりテレビを見ていたのに・・・。真夜中、携帯いじりながらの勉強だったのに・・・。

 そしてまた、脇目もふらず、弱さのあまり、1人で必死にストレスから逃れるかのごとく我を失ってプレッシャーに勉強させられても、それに負けた姿ならあまり結果も意味を持ちません。そんな点数など一時の事。上がったと喜んで、緩んで、また元にもどってしまうのがオチです。そして『人に見られるとうまくできない・・・』『人といるとペースが崩れる・・・』これでは、1人でもできる子・・・ではなく、自分の部屋じゃないとできない子・・・なのでしょう。それでは世の中で闘っていけようはずもありません。 もちろん塾に依存してはいけません。そんな情けない塾生ではいけません。それでは、たった1人、試験場で、世の中で、闘って成果を上げていく事など出来ようはずもありませんから・・・。

 社会で評価される能力には、正にそのストレス・プレッシャーのかかる場面、状況においても、勝負所で負けない、本番に強いタフな精神が必要です。加えて1人で闘い、やりきる力を高めるためには、集団の、仲間のつくり出す高い基準がぜひとも必要です。それが自分の弱さを克服し、1人でやりぬく強さをも自然と身につけていってくれるのではないでしょうか・・・・・・。

 1人でやりきる力は、1人ではなかなか身についていかないものです。高い基準の環境の中で、集団の中で、それにより多く浸っていく事で “いやいや、自分はまだまだだな・・・ ” ときっと何かに気付かせてもらえるのではないでしょうか・・・・・・

 正に、価値ある “環境のカ” として、わかたけ塾を求めてもらえるよう、より一層の質の向上に日々務めるゆえんです。    
1995 No.2より
どんな子も――――強く、たくましくなれる――――勉強を材料にして・・・。
 『勉強ってなんでしなくちゃいけないの・・・?!』 『そんなにいい点なんか取りたくないよ。』 『成績なんかほどほどでいいよ。』 こう答える子の多くが、やはり、自分を他人と、周りの人と比べてしまっています。以前、あるクラスで子供達にこういう話をした事があります。
   
 『いいかいみんな。自分の乗っていた船が嵐にあって遭難し、自分一人漂流し、無人島にたどりついたと思ってごらん。ー人になってしまった、もうだめだ、と絶望し、ただ悲観するばかりで何もできず時を過ごしてしまうかい・・・・・・?。そんなんじゃ本当に息絶えてしまうよ。いつかは必ず自分を救いに来てくれる・・・という希望を持って、自分の命を長らえる様々な工夫を、全能力を傾けて成し遂げて行くのが、真の意味での強い人間なんだよ。いつ救出に来てくれるかわからない不安と焦りの中でね・・・。 』
 『無人島には誰もいない、誰も頼れない、そして誰も見ていない。そんな時、人の本当の姿がわかるものなんだよ。周りと比べて勉強をする人間は、そんな時、弱点が出てしまうんだ。
 常日頃から真の自分を見つめ、自身の目標を掲げ、嫌な事、辛い事から逃げる事なく、自らを内面から向上させようと努力する人は、無人島に一人たどり着いたような時にでも、人がいようがいまいが関係ない、その人自身の目標・目的を追い続けてきたたくましさで、その苦難を克服していけるんだよ。自分を見極め、克服し、成長していく、そういう材料を与えてくれるのが勉強なんだ。そういう考えを持って自分を鍛えていこうね・・・ 』

―――― 子供達のこういう声が聞こえてきます。――――
 『そんな無人島に漂着するなんてこと、ないもんね―――!』
 『そうだよ! そうだよ!』

―――― そんな時、こう答えるつもりです。――――
 『これから大きくなると、大人になると、いくたびと無人島にたどり着く事があるものなんだよ・・・・・・』と。
2001 No.2より
達成率・・・。何よりもこれが大事・・・!
 いろいろなテストがあるごとに、自らの解答を吟味させ達成率なるものを出させ、自らがどんな事をやってしまったのかを検証させています。

 達成率とは・・・?きっと塾内でしか使われない、聞き慣れない言葉かもしれません。ポイントは、何もテスト・・・100点とる必要はない・・・という事です。その時点で、わからないものはわからない・・・、知らないものは知らない・・・、できないものはできない・・・、のですから・・・。つまり、できないもので点を取れなくてもいい、それは仕方ないという事です。(でも空白はダメですよ・・・。きちんと埋める事です。ベストを尽くして可能性を上げる事のひとつですから。)

 でも、よく考え、自問してみなければなりません。もう無理で不可能な問題が20点あったとして、それなら、じゃあ、取れるはずの80点がきちんと取れているのかどうか?・・・と。これが大いに注目しなくてはならない重要なところです。

 わかっているのに、よく見ず読まず、とんちんかん・・・。アレレ!
知っているのに、よく考えず、焦って慌てて、ちんぷんかんぷん・・・。アラま!
できているのに、まあいいや・・・、と適当やってああ悔しい・・・。ウワあ!

 もし、こんなふうに取れるはずの点数を20点失っていたとしたなら、=何とももったいない、す、捨てているんですから20点も・・・=、 80点中60点で、達成率75%・・・。

 達成率が大切なのはなぜでしょう?・・・。勤勉性を発揮して、一生懸命努力しても、それを現実に報われるものとしなくては意味ありません。水泡に帰させてしまったのではなんとももったいない事か・・・。 空しい事にもなりかねません。

 迫ってくるものを前にして、日増しにストレス・プレッシャーがだんだん強くなっていく場面でも、やるべき事をやりぬけるべく勤勉性を発揮していかねばなりません。ですがやがて試されるその時に、それを揺るぎなく発揮できていけるようなタフな “ 精神と頭脳 ” が準備されていなくてはいけないのです。きっとそれは社会で “生きる力” の土台ともなり得るものでしょう。
 塾内で能力の基本は、どんな状況に置かれても “よく見て、よく聞いて、よく考える・・・” 事とよく言われます。
案外、人の道は実際のところ、そんなところで決まっているものです。

 大事な時に、ヘマをしない、変をやらない、ポカをしない、いいかげんをしない、適当をやらない、とんちんかんをやらかさない、慌てない、ミスをしない・・・。そう、身につけてきたものをきちんと発揮しぬく能力・・・。正にこれが肝・・・、人生の時々に、要となる部分です。
 正にわかたけで日々、学習を材料に鍛えている “精神と頭脳” の重要な部分です。

 我々は期待しています。それらが塾生各人の “生きる力” となって未来に、社会で “人生にほほえまれる事を・・・”
                                       そう、願いや望みが叶っていく人生を・・・。
2012 No.2より
真の素直さとは・・・? 人が進歩成長するのに欠かせないものです。
 人の言う事に心と裏腹に『ハイ、ハイわかりました・・・』とばかりに表っつらばかり合わせ従っていても、これではぶりぶりのブリッ子、そして、嘘つき・・・とさえ言われても仕方ありません。それを素直・・・とは決して言いません。問われているのは、表っつらではなく、心の奥の性根の部分で、どう感じ、何を思い、そして考えているか・・・なのですから。

 人は基本的に、誰も自分を正当化し、気持ち良く、そして、ストレス・プレッシャーなど無いかのごとく、のほほんとしていたいものなのかも知れません。ですが、ストレス・プレッシャーから逃げて楽な方ばかりを選んでいて、人に評価される成果が訪れるようにはどうしても思えません。

 成果とは、人が強くたくましい心でそのストレス・プレッシャーを克服し、やるべき事をやりぬいていったうえで訪れるものなのでしょうから・・・

 でもそのプロセスで人は弱さをさらけ出してもしまいます。自らと闘う時、どうしても自分の弱さが現れてしまうものです。そんな時にこそ、人はどれぐらい多くの経験をものにし、鍛練を積んできているかが問われます。どれぐらい自分の弱点・欠点を知り、克服に努めてきたかが重要となります。
 ですが、弱点・欠点を認識し、受け入れるには、のほほんとはしていられません。決して気持ちいい事ではありません。だからこそ、そこでは、欠く事のできない、心のありようが問われます。それは、気持ち良くなくても、気に入らなくても、気にくわなくても、客観的事実を・・・、現実を、ありのまま受け入れられる “心の素直さ” ではないでしょうか。

 都合のいいものは受け入れるが、都合の悪いものは拒否・・・。気持ちのいいものは認めるが、よくないものは否認・・・。これでは現実逃避です。
進?・成長とは、現実をありのまま受け入れ、社会に適応し、能力を発揮し評価されるように自分を変化・向上させていく事でもあるのですから・・・

 基準は自分の “思い” の方ではなく “現実” の方に置いていかなくてはなりません。

 “素直な心” とは、思い・気持ちによらず、ありのままの現実を心の底から受け入れていける純粋で、知的な “心の器” であると思います。

 それは、その人の “貴重な能力” となって一生を支えていく事でしょう。

 わかたけでそれを “素質” と評するゆえんです。
        今後とも塾生達の一生に関わる仕事を務める者として心して参る所存です。
2016 No.2より
子供達が自分の弱さと闘って克っていけるために・・・。
  弱く流されてそれを正当化したい心を戒め、論していくこと・・・
 やらなきゃいけない―、でも大変・・・。  やりたくないな―、何とかならないかな・・・。  こんな時、人は弱くなるものです。楽できる、何とか逃げれる方法はないか・・・と。
 ここで2通りの歩みがあります。弱い自分に負けて、楽な方に歩んでしまう道と、やるべき事をきちんとやっていける道と・・・。

 人間、願いや望みを叶えていくのなら “自分がやるべきと判断した事を、流されずきちんと実行” していかなくてはなりません。
 きっと、特別な何かをする事より、しっかりと自らで判断したその事を、きちんと実行していく事の方がその実現性は高まっていくはず・・・です。そんな生きる力とも思える能力は、たくましさ、強さ、とも表現されてもいいものでしょう。ぜひとも塾生たちに身につけてほしい “判断力と実行力” です。
 ですが人間、生まれてから自然とそんな能力を身につけていくとは思えません。やはり、時をかけて経験を重ね、訓練をしていく必要があります。勉強とはいいものです。弱い自分を見せてくれ、闘う経験をさせてくれ、そして、克ってやりぬく訓練をさせてくれる材料となりますから・・・。更にその先にある満足感たるやりがいさえも、そして次なる闘いに挑む勇気をもくれるのですから・・・。
 わかたけでの学習には、点数や成績、そして結果を求めながらも、もっと大切な先々の人生に生きる大切な価値があると思っています。

 そのプロセスを歩むには日々、勉強を材料にした自分との闘い・・・が待っています。弱くなる自分、楽をしていたい自分との闘い・・・です。
 我々大人は、弱く負けそうな、楽な方に流され、そしてそれを正当化したいその心に、何とか刺激を加え、“卑怯をせず”、己れに克つプロセスを歩ませて参らねばなりません。

 本当に塾内でよくある話です。  1週間も前の、だからこそ体調優先、家の事優先、部活優先・・・で、それらの事をちゃんとやった上でも、十分やる時間があったのに、それでもやってないその宿題に、本人曰く『やる場所がわからなかったでーす!』。このままで終わらせる訳にはいきません。
 私、それに応えて『え!ちょっと待って・・・・・・。なんで!!この宿題のページの角、ちゃんと折ってあるよ!』・・・

 本人も、このやりとりを聞いている皆も、何かを悟り、わかり、学んで、これからに生かしていってほしいと切に望む我々です。
2017 No.1より
“目標があればできる!” ・・・そして “目標がないからできない!!” の間違っているかもしれないところ・・・。
 できない、やらないのは “目標がないからだ・・・” だから “目標が見つかれば・・・” と考え、目標探しに走ってしまう場合があります。
 実は、率直なところ――目標などなくても、持てなくても、持たなくても、目の前の事に・・・、そのやるべき事にベストを尽くせるように――と、常に言ってきている我々なのです。
 “目標があればできる・・・” と言うことは、 “目標がなければできない・・・” という事にもなります。そして、何せ人間、弱い面があります。“自分は目標がないから、だからできないんだ” と話をすり替えて、やれない自分を正当化してもしまいます。
 その上、目標が見つかってから取り組んだのでは、もうすでに “時間” が足りなかったりもします。更に、それまでにきちんとプロセスを歩んでいないと、過ぎた月日は取り戻せません。身に付けるべき相応しい “時期” をやり過ごしてしまった後ではもう一生・・・などという事も案外多くあるものです。

 やはり、やるべき事をきちんとやり切る実行力が、真に願いや望みを叶えていく際には欠かせないのではないでしょうか。

 でも気を付けたいのは、目標が見つかって “それを手に入れたい!!” と衝動に火がついたかのごとくやって、手に入れたら後はのほほん・・・というケースがよくあるという事です。例えばよくあるのが、受験直前必死!で手に入れ、希望する高校に入ったら遊びまくり・・・。これでは中学時代より遥かに大切な未来に関わる高校時代を台無しにしかねません。

 実行力とは、衝動にやらされるところから生まれるのではなく、やはり、本人の冷静な意志力から生じるもののはずです。

 人生とは、永い、時の連なりです。いくつもの時が連なって繋がっています。だからこそ、目標が見つからずとも、衝動に火などつかずとも、日々、目の前のやるべき事を淡々とやりぬく事にベストを尽くせる・・・、それが願いや望みを叶える要となる能力のはずです。そんな “生きる力” と言えるものを塾生達に身に付けてほしいと切に願い、日々、勉強を材料に鍛錬を重ねてもらう我々です。

 日々ベストを尽くせる人に、結果は後からついて来る・・・。そう、人生はほほえむはずですから・・・。
2005 No.2より
“素直な心” それが人を成長させる土台です。
 人間の成長を左右する要因の一つに、どれくらいたくさんの事を経験し、知り、学び、そして吸収していけるか・・・という点があります。ですが、そこにはそれらを大きく左右する精神的要因があることを、ここで忘れてはいけません。
 人間は知らず知らずのうちに、入ってくる刺激に自分本位の解釈を加えてしまったり、そればかりか、入ってくる刺激を好みによって選んでしまったりします。全てを理解したつもりでも、もしそこに知らず知らずのうちに主観的判断が入り込んでしまっているなら、それは自分に都合の良いように周りからの刺激を変えてしまっているに過ぎません。

 “成長” とは、ある種、変化の連続・・・と言えなくもありません。しかし、その変化が、自分方位で都合の良いように解釈されたもののみによってなされていくのなら、それは “成長” とは言えません。
 未熟な点がそのままにされていく変化なら、それはただ『未熟さ』の助長であって、決して『個性』ではありません。
 また、自分の弱点、欠点に刺激が及ぶことなく過ぎていく変化なら、それはただ『ぐーたら』の助長であって、決して『すくすく、のびのび・・・』ではありません。

 真の成長を促すためには、様々な刺激の全てを真に受け止める、真っさらな “素直な心” が必要です。そこに入ったあらゆる刺激を受け入れ、吸収していく知性さえも、真の受け入れる器あってこそ・・・のものなのですから・・・。

 感情を制するのは “真の知性” ですが、あらゆる刺激を取り込んでまっとうに頭脳を働かせるのは、その “素直な心” だと思うのです。
 “素直な心” がなければ、知性はその感情・思いを正当化するための材料、つまりは屁理屈として使われてしまいます。それでは “偽りの知性” と言わざるを得ません。

 “偽りの知性” を武器に生きる人間より、“素直な心” を武器にして生きる人間の方が、はるかに知性が高いのがわかります。

 若竹塾塾生のみなさんの、その “素直な心” に様々刺激を加えるべく、我々講師一同、日々尽力して参ります。
2014 No.2より
人は生きていく時、いくつもの分岐点があるものです。
 人間、きつい方と楽な方があって大いに迷った時、
  きつい方を選んでいくようにしておけば間違いない、その4つの理由とは・・・。
 理由1:きつい方を選んで仮に間違っていたとしても、楽な方にならすぐに乗り換えられる。逆だと、時を失ってよりきつくなっているであろう状況の中で、それはしんどい・・・。
 
 理由2:きつい方を選べるたくましさは、人に生まれながらに身に付いているものではなく、日々の訓練、鍛錬、そして経験によって、ようやく少しずつ身に付いていくもの・・・。その訓練になるのだから。
 
 理由3:きつい方を選べるタフさ、強さがあるなら、その分岐点で “きついのは嫌だな・・・、楽したいな・・・” という弱さや誘惑を克服できていて、その状況を、冷静に、的確に判断する能力は高まっているはずだから・・・。
 
 理由4:願いや望みを叶えていける、 “生きる力” を有する人は、決して多数派ではないはずです。その生きる力は誰でも選べる楽な方を選んでいったのでは、到底身につくものではない・・・と思えるから。
 この意味で、きつい方でも選べるのは、 “願いや望みをかなえる際の生きる力” と言えるものなのかもしれません。
 
 日々、勉強の点数、成績を求めていくプロセスで、たとえきつい方でもそれを選んでいけるよう鍛錬を積んでいきたいものです。きっと結果の更なる向上のみならず、それ以上に価値を持つ “生きる力” を育んでいけるはずです。
 日々の歩みがそのようなものとなるよう、より日々の学習の質を上げて参ります。
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